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【艦これ//物語系動画】「提督の妻たち ~ オナホドール・オブ・ユー」

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    2025-02-08
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作者コメント:

【艦これ//物語系動画】「提督の妻たち ~ オナホドール・オブ・ユー」\n出演:吹雪、足柄【宣伝】\nHP遊びに来てください。『艦これのHなサイト』\nhttps://www.megdeath.com/kancolleいつもニコニコ元気なまんこ、IQ127の絶対美少女ミッキーです。\nひさびさの大作!\n気合入れて作ったわ。\n楽しんでほしいわ。■■ 構想二年「提督の妻たち」は香港映画を見て、ようやく構想が固まった「ヤクザはエロい」という定義がある。\nビートたけしの映画でも、大抵、レイプシーンが入ってる。ならば、『艦娘でヤクザ映画を作ってはどうか」という構想が、私の頭の中に浮かんだ。\nしかし、私は、映画が好きなわけでも、ヤクザが好きなわけでもない。\nそのため、漠然としたイメージは浮かんだものの、具体的にどう仕上げれば良いか、案がまとまらなかった。いつもは、とりあえず制作を始めれば、なんとなく物語や台詞が浮かぶのだけど。\nしかし、本作については、デモを三本制作してみたが「演出」や「音楽」のイメージしか浮かばなかった。\n『エロ動画』としては、別にこれでも良いが『物語』としては、成立していない。それで放置していた。そして、約二年が経過した。ある日、パートナーが「金は出してやるから、映画を観て来い」と言った。\nパートナーは香港人で、超映画好き。毎日、延々と映画を観ている。ちょっと変わっている。\n​そんな妻が「これは凄い」といって、新作の映画を勧めてくれた。それが「トワイライト・ウォリアーズ決戦!九龍城砦」だ。■■ セックスだけで伝える。「トワイライト・ウォリアーズ決戦!九龍城砦」は、カンフー映画だ。\n大したシナリオはなくて、ただ、ひたすらカンフーでの戦いが続く。\nしかし、この「戦い」が、本当に密度が濃くて、『戦いの中に物語がある』のだ。\n私は、この直前に、「ガンダム ジークアクス」を観ていたのだが、全然『戦いのレベル」が違う。\nガンダムの場合は「なんか操縦方法がわかっちゃった!」「いけえ!」バーン\nおしまい。一方、「トワイライト・ウォリアーズ」は、リズムと、仕掛け、そして「男の色気」がある。\nカンフー映画というと、馴染みがない人々だと、「サブカル男が好む、ブルース・リー」のようなイメージがあるかもしれない。\nしかし、映画館は女性客も多い。香港では、カンフー映画は「イケメンの登竜門」のようなところがある。\nなので、戦闘シーンの「仕草、表情」を通じて、「男の魅力」を、ぐっと引き出す。\nしかも、この「トワイライト・ウォリアーズ」の戦闘シーンは、どうやら、「日本人」の演出家が、監督しているそうだ。\n確かに、北斗の拳や、ドラゴンボールのようなダイナミックなシーンが含まれている。\nしかし、それを生身の人間が、迫真の演技でやるわけだから、凄まじいカッコ良さ。\nそして、「男っぽい」のだけれど、戦いに「色気」がある。これが言語化できない。\nK-POPの「ダンス」を、戦闘に置き換えたのが、香港の「カンフー」かもしれない。「トワイライト・ウォリアーズ」を観て、ハッと気づいた。\n「必要なのは『物語』じゃない!絵と仕掛けとリズムだ!」\n物語は、観客を「没入」するための「仕掛け」でしかない。\n最後は、絵や、表情で、感動させる。「ガンダム」は、とにかく台詞が多い。それが「売り」なのだろう。\nしかし、戦闘シーンでの動きは、単調だ。\n邦画のアクションは、いつも短長だ。\n漫画もそうだ。登場シーンの「ポーズ」はカッコいいのだが、戦闘そのものは、地味であることが多い。\n北斗の拳やドラゴンボールも、派手なように見えて、実は、ほとんど動きがない。\nその場から、一歩も動かずに、ただひたすら時間が過ぎることも多い。日本人は「台詞」で感動させたいという意識が強いのだと思う。香港映画は真逆の価値観。「台詞」は、出来る限り最小限。\nそこから先は、人間の動きと表情で、感動させる。それが香港流。\nブルース・リーの映画も、ほとんど喋らない。日本でも、「歌舞伎」は、香港的な感覚に近いかもしれない。\n日本は、「能」などでは、全く喋らないし、表情すらない。\n日本人も、もともとは「しゃべり過ぎない、語り過ぎない」ところに「美学」を持っていたはずだ。\nしかし、時代の流れで、物語が「説明的」になったのかもしれない。\nそれはそれでよい。私も、喋るのは大好きだ。しかし、本作「提督の妻たち」で必要なのは、まさに「しゃべり過ぎない、セックスで見せるアプローチ」ではないかと思ったのだ。\n「台詞を減らすことで伝わる色気、緊張感、命の重さ」があるのではないか?\n本作が、「女の色気」が伝われば幸いである。(「提督の妻たち~オナホドール・オブ・ユー」監督:ミッキー・ハット)
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