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峰不二子という女

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    2017-12-29
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作者コメント:

本当はもっと凝ったものを作る予定だったが、訳分かんなくなったのでシンプルに白黒ショーになってしまった(・.・;)BGM新・嵐が丘Performed by Naruyoshi Kikuchi & Pepe Tormento Azucarar feat. Ichiko Hashi(菊池成孔とペペ・トルメント・アスカラール feat.橋本一子さて、世間は年の瀬間もなく新年を迎えるが、Iwara民の中にもコミケで血沸き肉躍っている方も多いのではないでしょうか。コミケといえば30年前は、「ヲタク」という言葉も生まれてなく、コミケ(コミック・マーケット)は「同人誌即売会」と呼ばれ、その頃は晴海会場(東京国際見本市)でやっていたんだけどこの年(1987年)は何故か「東京流通センター」。規模は今と比べれば小規模だったが、集うアニメファンの熱気は今と変わらないくらいに熱かったなあの男が現れるまでは・・・というわけで(どういうわけで?)今日は久々にヲタクの話をしようかな奴さえいなければ1、ヲタクという存在現在、日本の新たな輸出産業として注目を集めたのが、日本のアニメや漫画などのサブ・カルチャーであるが。今やそれだけに止まらず、各地の伝統工芸品や日本酒などの団体が、「海外に売り込め」と躍起になっている。その発端となったのが、2010年の民主党菅直人政権時代の「クール・ジャパン構想」だった。現総理大臣安倍晋三(第二次安倍政権)もこの路線を引き継ぎ、昨年のリオオリンピック閉会式において、自らマリオに扮し、日本のクールジャパンを世界に知らしめたのは記憶に新しい。しかし今から30年前、オタク文化はある意味において完成の域にまで達していたのである。あの男さえいなければ・・・2、ヒストリーズラン“10代の革命”“彼ら”をオタクと呼ぶには些か異論はあるが(彼らはオタクの原型であるアニメファンというわけではない)、オタク文化を形成する側も、支える側もその多くは10代の若者たちである(今は「あった」という方が正しいか?)。そして、この時代(1980年代後半)のオタク文化を語る上で彼らの起こしたムーブメントを抜きには語れない。彼らの名は、高野生・大。「ヒストリーズラン」は彼らが企画者となり、そして彼らの編集の元で進められた。彼らが出版元にこの企画を持ち込んだのが、兄・生が17歳。大は16歳の時。そして2年後の1985(昭和60)年11月3日の文化の日、ヒストリーズランは創刊された。キャッチコピーは、「歴史を切り開く10代のメッセージマガジンリングなき10代たちへ」とあるように、TVのインタヴューでも兄・生は兎に角「10代」に拘りを見せていた。まさにヒストリーズランは、「10代の、10代による、10代のため」の雑誌だった。この“革命”は世間からも大いに注目を集め、創刊号の表紙を飾った「真っ白な灰になったジョー」が街の至る所で見られた。3、10代革命、その夢の果て世間の注目を集めたヒストリーズランであったが、勢いは創刊号発行まで。創刊号が発行された直後から世間の目は離れていった。「リングなき10代たちへ」とあるように、高野兄弟は、10代の少年少女たちの活躍の場としてヒストリーズランを創った。高野兄弟はそこ(ヒストリーズラン)を、「リング」と呼び、ここから新しい文化を生み出そうと考えていた。「真っ白な灰になったジョー」を創刊号表紙に選んだのもそうした意図だったかもしれないが、“燃え尽きたジョー”を選んだ時点でこの雑誌の未来は決まっていたのかもしれません。出版元のマガジンハウスも、当初は従来の営業用雑誌のような利益追及とは一線を画す姿勢を見せていたようだったが、当時のマガジンハウス社長だった清水達夫氏と高野兄弟の対立激化によってヒストリーズランは創刊準備号も含めてわずか3号(実質1号)で廃刊。その後「ヒストリーズラン編集部」として自費出版という形で活動を続けたが、1987(昭和62)年5月、編集長を引き継いだ弟・大が20歳の誕生日を迎えたこともあり、そのアイデンティティーを失うと、その「ヒストリー」にも幕が閉じられることになる。それと「エロ」が無かったのが失敗の原因かな?日本における文化の裏には常にエロ事があったという事実も否めませんでしたからね。もし売れる雑誌でしたら社長であろうと(だからこそ?)文句も言わなかったでしょうし・・・そういえば兄・生が、「ライバルは“少年ジャンプ”」と言い切っていましたが、その当時人気絶頂だった少年ジャンプですが、その内容は少年誌であるにも関わらず今のソフトエッチコミックスなんて比にもならないほど“エロ本”でしたからね(笑)4、オタク文化を広めたのは宮崎勉の功績!?宮崎の起こした事件(幼女連続誘拐殺人事件)については、http://ecchi.iwara.tv/videos/g08vbcwlzoso8vr9rhttp://ecchi.iwara.tv/videos/qa3e0ieklzcrx0mroに詳しく書いてあるのでそちら↑を参照願いたいが、宮崎が起こした事件をきっかけにマスコミが食いつき、「おたく」という人種にスポットが当てられ、初めて世間の注目が向けられたのは事実である。この事件をきっかけに「おたく」という言葉が浸透し、アニメファンなだけであった私が友人に「おたく」呼ばわりされたのもこの時期である。1980年代後半、21世紀を創る新人類ともてはやされた我々であったが、宮崎勉の登場により、「おたく=犯罪者予備軍もしくは犯罪者そのもの」」というレッテルを貼られ、これ以降様々な迫害を受けることになる。今日(こんにち)においては、「クールジャパン」だの「サブ・カルチャー」だのと、オタク文化が花開く現在の日本の社会であるが、我々が受けた数々の迫害の実態については次の機会にしたい(次があればだが(・.・;)
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